2021年の初めに。

気が回らないのも自分らしさ。苦笑

明けましておめでとうございますと言っていいのは松の内まででしたっけ。どうも、光爾ケイト(ひかりに・けいと)です。明けましておめでとうございます。

 考えてみたら、昨年ラストの記事(2020年の終わりに)は十九言目だったわけで。これをきっちり二十に収めれば、なんとなく“おあとがよろしいようで”感も出ようというものの、ここまで気が回らないのが自分らしさよねと、正月から自分を慰めたり貶したりしておりますな。

 しかしコロナ禍のなかで今年も「新成人が大騒ぎです」とか「そんなバカタレはどうだ」とか、そういう記事も世間を賑わす季節の華と言えば、華ですよな。日本はまだまだ平和です。そんなおふざけが許される(?)のですから。ま、わたしたちも若いころは、ね。あまり現代の若い人を叱れるような、ね。むしろ今の若い人たちからお叱りを受けそうな、ね。

 まあしかし、新成人は未熟だから仕方ないのですよ。未熟だから。いま感染を広げているのはすっかり成熟した(あるいは完熟の)(あるいは熟しすぎた)大人たちだと思いませんか。思います、わたしは。

 行動規範を示すべき人たちが示せていない現状で、なにゆえ彼らの要望を聞き入れなきゃならんのかと、若い人が考えても文句は言えないのが現状。むしろ若い人に文句を言うなら、偉い人から順番に、ね、ちゃんと行動で示しましょう。いいじゃないですか、オンライン飲み会をやってください。スマートフォンやタブレット、パソコンの使い方も憶えてください。

そうして初めて、若い人に要望できるわけですよ。「俺らの言うこと聞けよ、なあ」と。

「コロナの感染拡大は避けたいじゃないかよ」「みんなのじいちゃんばあちゃんが感染したら生命の危機だぜよ」とかですね、偉い人が見本になって初めて、みんなも守ろうと思えるのでは。

 何も政治の世界だけじゃなく、会社でも学校でも、まずはシャッチョさんや校長先生がね、マスク手洗いをきちんとして、飲み会も控えると。でも悲しいかな、日本の偉い人像は「ルールや規範を守らなくていい」みたいなお殿様気質がありますから。「まずはリーダーが手本を示す」という欧米のリーダー像とは一線を画しているというか。まあ、どちらがいいかは置いときますヨ。国の立法府に民衆を煽動するリーダーもいるようですし。苦笑

 もしかして世界が変わっていくー。と考えれば、まあ世間の常識なんてものは、やっぱりそのときの状況に合わせて変わっていくものだと。

 「東京ラブストーリー」の時代(80年代末~90年代初頭)に携帯電話が普及していたら、などと考えるのは野暮で、あの時代はあの状況だったからあのストーリーが成り立つのであって、300年前なら「大江戸恋物語」などと銘打たれた人情噺が芝居小屋で演じられていたかもしれず、600年前なら「武蔵下総回遊記」みたいな感じで江戸は都市ですらなかったわけです。

 いまや開催は風前の灯火となった(ような気がする)東京オリンピックの前回大会1964年の映像でようやくカラー映像が見られるくらいです。ここまでの間にどれだけ常識が変わったか、ですよね。

 それを考えれば、コロナ禍の常識の変化なんざ、軽い軽い。

 時間は戻れないから面白いのであって、命はいつか尽きるから必死に生きる意味があるのです。

 はい、今年も一所懸命に生きましょう、みなさま。

 ことよろぷーでございます。