二十七言目 男子マラソン4分台

旧態依然の・・・組織よ。

 どうも。月曜更新ですが今日の記事自体は28日の日曜日に書いている光爾です。今日の沖縄は晴天、3月1日も晴天だそうで、いろいろと乾かしたい人にはラッキーデイだと言えそうです。

 さて2021年2月28日、日本男子マラソン界が新たなステージに立ちました。

 びわ湖毎日マラソンで2時間4分56秒という記録が生まれました。「4分台」にたどり着いたわけですね。鈴木健吾選手(25=富士通)、おめでとうございます。

 もちろんめでたいのは間違いありません。

 たとえ日本陸連のダサい運営により1億円の新記録達成ボーナス(報奨金)が支給されなくても、4分台の新たなステージを切り開いた栄光は、現時点では日本男子最高の栄誉であることは間違いありません。

 日本陸連と言えば、選手に報奨金を支給するのにいまだにスポンサー収入に頼るような甘ちゃん(ま、アマチュアなので当然かもしれません)ですが、選手の育成方法もまあ甘ちゃんなんだよなと思わされるところがたくさんありますね。

 だいたい、マラソンという競技はもう長いこと強い選手と強い国が合致しているわけです。そして「なぜ強いか」という理由もだいたい分かっているわけです。

 となれば、なぜそれ(強い国の理由)をコピーしないのか。

 なんで「日本独特」のやり方に固執するのか。

 かつて世界ナンバーワンを競った日本マラソン界ですが、それはもう30年も昔の話です。あれから世界のマラソンは高速化し、世界記録が2時間5分を切ったのは2003年9月のこと。日本はそれから17年半も遅れているわけです。

 世界から17年半も遅れているのに、いまだに30年以上前の栄光を忘れられない人たちが、ふんぞり返っている。ま、日本のスポーツ界は、サッカーと野球を除けばだいたいこんなもんですよね。世界から何も学んでいない。野球だって世界から学んでいるのは選手個人だけであって、球界自体は旧態依然ですし。

 さ、男子マラソンが世界で勝つために。

 今すぐ練習拠点を海抜2000m級の高地に持っていくのです。そして、見込みのある若い選手を今すぐひたすら練習に打ち込める環境に置く(もちろん希望する選手のみ)。

 これだけですよ。

 練習拠点を海抜2000m級の高地に設定して、施設を建設する。

 そこに見込みのある若い選手(希望者のみ)を入れる。

 できれば、年間予算を投じて、スポーツメーカーの開発者やら、優秀なスポーツトレーナーやらを投入すると。

指導者に就く人は、競技者としての過去実績とかどうでもいいですよ。むしろ指導者としての実績がどのくらいあるか。そういうことが大事なのでは。

 え。

 海抜2000mの高地だけが必勝法ではない?

 それはそうでしょう。ただ、相手と同等の育成方法に立って初めて、次の育成段階が効果を持つわけです。いえ、今の育成方法にプラス「高地練習の標準化(拠点化)」が加われば、3分台、2分台も夢ではないでしょうね。

 それの実現には・・・ああ、今日はこの辺で。

 3月も良い日が続きますように。

二十五言目 差別か区別か

触り方によっては、大ケガしそう❤

 どうも。アフターバレンタインの光爾です。

 悪天候の先週後半から一転、今日は快晴でした。晴天を誉めるなら日没を待て。まだ2時間くらいはあるでしょうか。そろそろ誉めても良さげかと。

 さてさて。

 元総理の言動が点火した何かに、一階と三階の間にいらっしゃる重鎮などが油を注ぎまくった結果、女性蔑視な言動を非難する劫火が拡大するばかりの今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

 最近の論調は「そういうポジションにいる方々は考えを改めるべきだ」というものですが、それはムリです。

 ハッキリ言って全くムリです。

至難の業よりムリ200%です。

 あの方々は「女性蔑視的な言動が世間的に非難されるものであるという事実を理解している」わけです。そのうえで、男尊女卑もしくは女性を差別する自分の考えを改めるつもりはさらさらナッシング、そして自分以外の価値観を認めることが出来ない(気遣いができない)傲岸不遜な地金が、ついウッカリな言動を取らせるわけです。

 それを踏まえた解決策は、「(自分の考えはどうあれ)いろいろな価値観を認めることが出来ない方は、そういうポジションに置いてはいけない」というのが最善かと思われます。

 いやほんと、ああいう公のなかでも特殊なポジションには能力のほかに資質も必要ですね。ここで言う資質とはつまり、男女平等であるとか人権に関する価値観をしっかり理解して、それに沿って振る舞えるということです。

 もちろん首長や議員先生方にも必要とされますね、これまでもそうでしたが、これからはより一層。

個人的には元総理の発言は、「女性は話が長い」よりも「ここにいる女性陣はわきまえておられる」のほうが大問題なのですけどね。

 いずれにしても、「お・も・て・な・し」から早8年。主会場たる新国立競技場の設計コンペやり直しであったり、ロゴマークデザインの盗用疑惑であったり、コロナ禍であったり、ここまで大きな危機が何度もあって、ここにきてとうとう組織にこういう問題が起きてしまう。

 こういう言葉は使いたくありませんが、やっぱりねえ。

 厄払いしましょう。

 でも、開催するなら無観客で。できれば中止で。

 そんなこと考えている間に、日没が訪れそうです。

 やっぱり快晴でした。

九言目 タバコに、ものまうす。

法律でタバコ禁止な世界。

 どうも。光爾ケイト(ひかりに・けいと)でおます。

 あ、関西弁に意味はありません。

関西弁といっても物凄く幅が広いので、うかつに使ったりはしませんが、たまに関西出身者にテレビのノリよろしく関西弁を使ってしまったら、「なんやねん、コイツ」と眉根にしわビッキビキな視線を受けてしまいます。

 その視線には「関西弁は関西人のアイデンティティやぞ。よそもんは使うなや。使えもせんくせに」というような意見が込められているのかしらと勝手に解釈していたら、まー、そうでもないそうです。

 「なんやねん、コイツ。どうせならもっと上手にしゃべってくれ」とか考えているだけ。だそうです(一部の意見ですが)。日本人の英語(カタカナ英語)がどのように見られているか、というのと同じなんでしょうか。

 どうでもいいイントロでこんなに行数を使っていいのか分かりませんが、まあ良いとしておきましょう。

 今日、ぼんやりと考えていたのはタバコのこと。

 先週だったか、友人が訪ねてきてタバコについて愚痴をこぼしていたのです。なんでも、令和2年10月からまたタバコが値上がりして、愛煙家の方々が背負う十字架がさらに重くなったのだそうで、そろそろタバコをやめようかどうしようか迷う自分がいると、そのような話でした。

 まあ、この友人はきっとタバコはやめませんけどね。

 値上がりのたびに毎回同じ話をしているので。

もしかしたら彼に限らず、値上がりのたびに禁煙が話題になるのは愛煙家のみなさまには毎度のことなのかもしれません。

 百害あって一利なしの典型などと枕詞をつけられるタバコ。

 様々な病気の直接的な原因、または間接的な原因、もしくは遠因のひとつとされており、喫煙者は動物園のオリのごとき小部屋に詰め込まれて喫煙を強制させられ、最近では屋内禁煙が原則禁止となるなど、それはもう人権をはく奪されたかのような扱いを受けております。

「なんで高額納税者の俺たちが、煙くさい劣悪な環境の小部屋で喫煙タイムを過ごさなければいけないんだ」というのが喫煙者の主張が、わたしには理解できます。しかし、喫煙者の主張などは世のなかにはあまり受け入れられていませんね。

「確かに臭いや煙で他人に迷惑をかけるからな。小部屋に入るのは肯ぜられない。とは言えないけどな」というように、最近はやりの芸人のように否定なのか肯定なのか分からないまま悲し気な顔をされると、さすがに同情したくもなります。

 ところで素朴な疑問なのですが、このタバコはなにゆえ法律で禁止されないのでしょうね。

 国は病気の原因となるタバコを法律で認めている。

 タバコを法律で禁止すれば喫煙者がゼロとなるので、もちろん年間2兆円を超えるタバコ税の税収はなくなります。しかし、数年のうちには年間40兆円を超える医療費の何割かは削減できるようになるのではありませんか。

つまり、タバコを原因とする病気の罹患率が下がるはずなので。真にタバコが病気の原因であるならば、ですけれど。

いえいえ、「タバコは害悪、諸病の根源」の一般的な見解に盾突くわけではありませんよ。ほんとうに諸病の原因ならば何故法律で禁止しないのか。ということを申し上げているだけです。

 ひとつ、法案を出します。

 まず法律で国内の喫煙を禁じます。合わせて国内でタバコの生産・販売も禁じます。法律により禁煙を余儀なくされる人には、毎月5000円の禁煙給付金を3年間給付します。どうぞ給付金を使って禁煙してください。

 残念ながら喫煙者ではなかった人には給付金はありません。もう受動喫煙の害がなくなる喜びをかみしめてください。でも、喫煙者のようにタバコ税を払っていたわけではないので、給付金がないのは当然ですから騒がないでくださいね。

 で、タバコの葉を生産していた農家のみなさまには、転作もしくは転業、就業支援付きで手厚く対処します。なんなら農地を買い上げてもいいのではありませんか。

 それでも、数年のうちに削減できるはずの40兆円からの数割(仮に3割削減できたとして12兆円)で賄えます。

 さあ、やりましょう、法律でタバコ禁止。

 なんて素晴らしい世界がそこに。笑

八言目 思いとどまる(自殺願望)

もしも身近な人が死んだら。

 どうも、光爾ケイト(ひかりに・けいと)です。

 芸能人の急な他界(自殺)が続いていますね。

 どなたがどのように、という話はマスメディアにお任せするとして、「仕事もプライベートも順調そうに見えたのに」という視点で進めてみましょうか。

 誰も他人の内情まで詳しく理解出来たりはしません。だからみなさん、「〇〇そうに(だいたいは幸せそうに、順調そうに)見えたのに」と言うわけですよね。

 見えるのは表面上。

 死にたいな。自分は死んだほうがいいな。生きているのが申し訳ないな。もう死にたいな。自分は死んだほうがいい人間だな。切腹は痛いからイヤだな。リストカットも痛そうだな。クスリは摂取量が分からないな。飛び降りや飛び込みはたくさんの人に迷惑をかけるな。

 どんなに頑張っても、こんなもんか。ふざけて生きているわけじゃないのに、こんなもんか。疲れたな。またトラブルか、疲れたな。ふざけて生きている人のほうが楽しそうじゃないか。なんならアイツのほうが楽しそうじゃないか。あんなにふざけているのに。自分の人生なんて、つまらないな。もう頑張るのは疲れたな。

 なんてことを毎日考えながら、それでも嬉しい出来事や楽しみもあるから、どうにか生きていくほうに天秤が傾く。

 その天秤が、生きるほうではない片方にふと傾ききってしまったとき、人は死ぬのかもしれません。

 ウィキペディアのそれがどこまで正しいかは分かりませんが、世界の自殺率は10万人中約10人だそうです。すれば、1万人に1人の計算となる。それが日本では世界の約2倍にも達しようかという数字。

 生きにくい国。なのかもしれません、日本は。

 あくまで個人的な見解ですが(しかしながら、ほぼ間違いないと考えておりますが)、現代の自殺者は、人生に絶望するのではなく、失望するのではないかと。

 単なる言葉遊びではなく、類義語の言い換えではなく、深い闇の底に沈んだ状態ではなく、期待がはずれたときのがっかりした感覚。そして、疲労感。

 自分の人生は順調(そうに見える)だろうけど、もう何となく疲れたな。

 普段の自分なら、思い直せるはずなのに。思いとどまれるはずなのに。ぜんぜん本気じゃないのに。弾みと歪みが重なり合ったとき。

 わたしは、いつでも思いとどまる。

 あなたは、どうしますか。

 メメントモリ。Memento mori

 いつか死ぬ。そのときまで生きる。

 自分のために、あるいは誰かのために。

六言目 今こそ農林水産業だ。

働く人にー、なりたーいーなー♪

 どうも。光爾ケイト(ひかりに・けいと)です。

 マスメディアを見渡すと、「コロナコロナコロナ、コーロナコロナ、コロコロコロナ」的な感じで、何かの失敗はコロナのせい、何かの事故はコロナのせい、会社の倒産もコロナのせい、自治体の倒産もコロナのせいで生まれそうな状況らしいですね。

 某国某地域の某武〇で生まれたと指摘されている新型コロナウイルスの影響は計り知れず、その威力は史上最大級のダメージを全地球規模で人類に強いています。恐ろしいですね。これがウワサ通りに人為的に生み出されたものだとしたら、これはひとつのバイオテロ、ヒューマンハザード(人為的災厄)と言えますが、それをどうこう言うより早く本題に触れたいので進めますw。

 この新型コロナウイルスが人類に由来するしないは別として、恐ろしい災厄のひとつとなってしまったからには、人類としてはこれを乗り越えなければならないわけです(お、ちょっと話が人類規模まで広がっておりますが、大丈夫でしょうか)。

 とりあえず病理的な部分は専門の方にお任せするとして、わたしたちに手洗いうがいマスク以外に何ができるかを考えてみました。

すると、経済的な面からは、わたしたちひとりひとりの個人的な話でもあり、そしてある程度大きな地域経済でもあり、国ひとつの経済の話にもなりますが、結論から言いますと、「今こそ農林水産業だ」という考えに至りました。

 そうです、今こそ農林水産業なんです。

 新型コロナがどうであれ、人間らしい暮らしの根源にあるのは衣食住の充実です。

最初の緊急事態宣言のときも現在も、衣食住およびそれらに関わる物流などは止まりませんでした。

もちろん、止められるものでもありませんが、海外からの物流は一部が滞ったので、衣食住のうち「住の新規建設にかかる資材等の輸入」が一時ストップして建設現場が硬直したり、あるいは「食の一部食料の輸入」が一時ストップして食糧が値上がりしたり、というようなことが見受けられました。

 お判りでしょう。

 衣食住を支える農林水産業が充実していれば、これらの問題は十分対応可能なのです。今を国難というのなら、まずは国難を支えられるだけの農林水産業を充実させておくべき。現代の国内課題で医療の充実に比肩する課題は、これを置いてありません。

 そして、その手法も分かり切っています。

 ひとつ目は、たとえば沖縄では大東島で見られるような、機械を使った大規模農業です。人口の少ない大東島ではもともと機械を使った農業が盛んでした。

 ふたつ目は、家業制ではなく、農業生産法人を主体とした法人農業です。個人のチカラに頼るのではなく、中間で農産物や農薬からマージンを搾取する農協などは無くしてしまって、経営のプロが経営をし、農業のプロが社員として農業を請け負う法人制で、国内の農業全体を再編していくということです。

 もちろん課題は、気象に左右されにくい農業をいかに実現するか、ということです。

あれ? いつの間にか話が農業だけに絞られてしまっていますね。

 しかし農林水産業全体に言えることです。

 人口減少のなかで、いかに機械を使えるか、そして法人として安定させいけるか、気象天候に左右されにくい生産体制を築けるか。

 以前からの問題と認識しているのか、いないのか。お米は減反が進むばかりで、休耕地は増えるばかり。

 大事なことなので何度も言いますが、これからは農林水産業です。

 個人的には今から転職するつもりは微塵もありませんが、これからも農林水産業は応援していきます。

 いやまあ、詮無いことなんですけどね。

五言目 OKINAWA LIVES MATTER

生きている人の話なのよ。

 世界のみなさま。おはこんばんちは、光爾(ひかりに)です。

 沖縄は政治ですか。

 いきなりでスミマセン。

 今朝の朝刊(ある新聞社は世間を騒がせておりますが)にて、人口3~4万人ほどの町の町長選挙の結果が掲載されていました。「オール沖縄勢力、敗れる」という主旨で。

 うむー。

 誰が勝った負けた、勢力が勝った負けた、ということより、その選挙の結果がその町で生きる人々にとっては良いのか悪いのか。そういう尺度では判断されないものなのですかね。ま、どちらも新人だったので良いか悪いかの判断もしづらいのかもしれませんが。

 町民のみなさんも、ある意味で賭けに近いのですかね。新人同士の選挙だと。

 沖縄はよく政治で語られますけど、そこに生きている人々のことを思えば、政治は何のために生まれたのか、原点に帰ることは難しくないはず。

 昔、保守か革新かで語られた表現が、保守かオール沖縄かで色分けされるようになってしまったけれど、保守とか革新とかオール沖縄とか関係なく、ただひたすら安寧に暮らしたいなとか、子どもたちが安心して生きられる社会であってほしいなとか、野菜の値段が安くなってほしいなとか、洗濯物が乾かないから明日くらいは晴れてほしいなとか、そういうことを考えている人たちは、何派になるのでしょうか。

 その人たちも、何らかの派に加わっていないといけないのでしょうか。

 OKINAWA LIVES MATTER.

 沖縄県民(出身に関係なく、沖縄県内で生きている人たち)の生命の問題だ。

 基地がどうのという話でも、殺人事件がどうのという話でも、リアルに傷ついたりするのは沖縄県内で生きている人なわけで。政治屋さんではありません。

 だから、沖縄のことも政治ではないのです。人間の営みです。暮らし。

 アベノミクスの次はスガノミクス。新聞に書いてありましたけど。それは国民の暮らしに役立つのでしょうね?

 JAPAN LIVES MATTER.

 気がつけば、日本国民全員の生命の問題。に、なっていたりしないように祈っています。「ものまうす」は、ただの祈りであり、願いなのですな。

 詮無きことではありません、ほんとに。

初めまして、世界。

「ものまうす」を始めます。

世界のみなさま、こんばんは! あるいは、こんにちは! もしかしたら、おはようございます!

日本語以外で話しかけられない(外国語ができない)わたしが残念ですが、今日から始まる「ものまうす おきなはからに」、光爾ケイト(ひかりに・けいと)と申します。

これから世界に何かを物申していきたい。何のチカラもないけれど、黙ってうつむくのではなく、視線を上げて問いかけていきたい。

そんな考えで、この「ものまうす おきなはからに」を立ち上げます。

今日から始めますが、過去にやっていたブログ記事からの修正・加筆・天才転載も掲載していく予定です。

などと、初回を終わりかけておいて自己紹介に行きますが、・・・というペンネーム以外に紹介できること……。

父は離島出身です。まるでハーフのような顔つきをしていたのを憶えています。

おかげさまでわたしもインド人あたりに間違えられたりすることもあり、日本人に英語で話しかけられた経験があったりします。

母は沖縄本島出身です。福々しい外見とはウラハラに、直言の過ぎる性格で周囲はドン引きです。

ハーフのような顔つきの父のルーツも、直言の過ぎる母のルーツも、実はそんなに深くは知りません。地域では割りと有名なルーツですが、わたし自身は家系図が存在するかどうかすら知りません。母方の祖父は割と名の知れた名士でありましたが、すでに鬼籍の人ですし、彼のコネクションは頼るまいと心に決めておりましたので、親戚筋からはハミダシモノなイメージでしょうね。

その親戚筋はかなりオジイに群がっておりましたけど。苦笑

いや、追って話せることもあるかもしれませんが、後から設定違いが起きると怖いのでこの辺りで留めておきます。

では、これから、どうぞご贔屓くださいますよう。

「ものまうす おきなはからに」、光爾ケイト(ひかりに・けいと)でした。

ではまた。