二十六言目 おすすめ・ブラック校則(笑)

男子中学生は丸刈り

どうも・・・如月の晴天、気温は23度まで上がっているかどうかは実感できない光爾です。だってずっと室内ですからね。

身体を動かさないと、ふ、ふ、太ります。

ここ最近、沖縄でも吹いております「ブラック校則」をどうにかしようぜ旋風。

どううううしても寒いときは長ズボン着用を許す。とかですよね。

 その昔、わたしが中学生のころを思い出しますと確かに「ソックスは白に限る」というルールはありました。「下着も白に限る」というルールがあったかどうか、記憶は薄いですが、まあ中学まではパンツは白でしたよ、確かに。それに、聞いてみると女子には「下着は白」校則はハッキリとあったそうです。

 下着が白かどうか、女子はどうやって確かめられるのかと聞いたら、身体測定とかエンドオールザットだそうで、まあまあチェックされる機会はあったとのこと。オジサン的にはセクハラめいた考えが首をもたげましたが、まず声に出さなくて良かったです。

 さてさて。

 個人的には「校則は必要」と考えていて「なんでもかんでも個人の自由だろ」的な考えを持つ方々とは相容れないわたしですが、だからと言って「下着は白に限る」校則は中学生くらいまでだろうなと思うし、高校生になって下着が白限定だったら、まあ大人になれずにこじらせる人が増えそうなのでやめてほしいところですね。

 あと、パーマ禁止も妥当じゃないですか。せいぜいアルバイト程度しか収入を得られないはずの年齢で、パーマなどはお金がかかりますから。そういうのは禁止のままがよろしいでしょう。同様に、髪を染めるのも原則禁止ですよね。どこぞの人種のるつぼのような国のごとく、金髪も銀髪も天然パーマも赤毛も黒髪も、みんな地毛の人がいる、という国なら別ですけど、学生の本文が学業だというなら、髪染めやパーマは必要性のある人だけに許されるべきだと考えます。そこは、個人の自由とかではない領域ですから。

 集団にはルールが必要です。

 動物にすらルールがあるのに、人間に不要な訳がない。むしろ、動物には有り得ないような高尚なルールがあって然るべきじゃないですか。

 ただ、ですね。

 なんでもかんでも校則で縛るんじゃねーよ。

 という話ですよね。

 寒いときは制服の上からジャージを着るくらい、生徒の判断でいいじゃないですか。マフラーを巻くのも自由じゃないですか。

 だいたい、先生たちは職員室で生徒と同じように薄着を強いられているのですか?

などとね、言ってしまいたくなる。

 そういえば「野球部は坊主頭」というのは何か理由があるのでしょうか。昔は「男子中学生は丸刈り」という校則が多くの中学にはあって、それを拒んで私立に進学したり、なかにはまあ、自分で自分を弑した方もいらっしゃるそうで、代表的なブラック校則とも言えますね。

 髪の毛と言えば「その髪の色は地毛かどうか」という問題ですね。

 これの解決策は妥当な案があります。

高校の入学書類に、入学者全員(入学者全員ですよ?)小学校の卒業写真を添付させればよいじゃないですか。髪の色が黒ではない人間だけに「地毛証明」を出せと言うのは、人権に触れます。地毛証明も入学者全員に提出させるのであれば、(人権はともかく)少なくとも平等ではあるので、わたしは承諾しますけどね。

 どちらにしても、校則のすべてを日の当たる場所に並べて、これは妥当だとかブラックだとか、そういう判断をすべき時期に来ているのではないですかね。

 時代が変わるのなら、ルールも変わる。

 人の世とは、そういうものじゃないですか。

 まあ、詮無いこと・・・とも言えませんね、真剣な話です。

 子どもは国の宝ですからねえ。

二十五言目 差別か区別か

触り方によっては、大ケガしそう❤

 どうも。アフターバレンタインの光爾です。

 悪天候の先週後半から一転、今日は快晴でした。晴天を誉めるなら日没を待て。まだ2時間くらいはあるでしょうか。そろそろ誉めても良さげかと。

 さてさて。

 元総理の言動が点火した何かに、一階と三階の間にいらっしゃる重鎮などが油を注ぎまくった結果、女性蔑視な言動を非難する劫火が拡大するばかりの今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

 最近の論調は「そういうポジションにいる方々は考えを改めるべきだ」というものですが、それはムリです。

 ハッキリ言って全くムリです。

至難の業よりムリ200%です。

 あの方々は「女性蔑視的な言動が世間的に非難されるものであるという事実を理解している」わけです。そのうえで、男尊女卑もしくは女性を差別する自分の考えを改めるつもりはさらさらナッシング、そして自分以外の価値観を認めることが出来ない(気遣いができない)傲岸不遜な地金が、ついウッカリな言動を取らせるわけです。

 それを踏まえた解決策は、「(自分の考えはどうあれ)いろいろな価値観を認めることが出来ない方は、そういうポジションに置いてはいけない」というのが最善かと思われます。

 いやほんと、ああいう公のなかでも特殊なポジションには能力のほかに資質も必要ですね。ここで言う資質とはつまり、男女平等であるとか人権に関する価値観をしっかり理解して、それに沿って振る舞えるということです。

 もちろん首長や議員先生方にも必要とされますね、これまでもそうでしたが、これからはより一層。

個人的には元総理の発言は、「女性は話が長い」よりも「ここにいる女性陣はわきまえておられる」のほうが大問題なのですけどね。

 いずれにしても、「お・も・て・な・し」から早8年。主会場たる新国立競技場の設計コンペやり直しであったり、ロゴマークデザインの盗用疑惑であったり、コロナ禍であったり、ここまで大きな危機が何度もあって、ここにきてとうとう組織にこういう問題が起きてしまう。

 こういう言葉は使いたくありませんが、やっぱりねえ。

 厄払いしましょう。

 でも、開催するなら無観客で。できれば中止で。

 そんなこと考えている間に、日没が訪れそうです。

 やっぱり快晴でした。

十一言目 自民党沖縄県議がクラスター

そして僕は途方に暮れる。

どうも。光爾ケイトです。

天気が安定してくれたようで、気温も低め安定、空気は乾燥気味。「おお。沖縄にも秋があったんだ」と久しぶりに感じています。そういう年なんですね。

耳の早い方にはすでにご存知かもしれませんが、自民党の沖縄県議の件。なんと18人でつらつらと離島を訪ね歩く勉強会ツアーを開催し、宮古島・石垣島・与那国島を歴訪したとのこと。

その結果、自民県議だけで12人(25日現在)が陽性患者となる、ほかでもあまり例をみない「移動型クラスター」を作り出す大失態を引き起こしました。

 当然のように、訪問先では濃厚接触が発生するわけです。どのくらいの数になるでしょうね。夜のお店の方まで含めたら50名くらいにはなりそうな気もしますけど。

 これについて、「勉強会は有意義なものであった」などというコメントをSNSで発しているようです。

 いいですね。この的外れ具合。

 こういう的外れな自己弁護をする人たち、まあどこにでもいますよね。わたしもそうならないように気をつけたいです。

 この「コロナ感染予防」が声高に叫ばれている世の中で、人々の見本となるべき(じゃないかと思うが、それほど見本にはなっていない)役割のはずの県議たる人々が、18人もの大人数で大挙して飛行機に乗って大移動を繰り返し、医療体制が脆弱な離島を訪ね歩いた上に、会食をしてさらに夜の街へと繰り出し(まーオトーリをしたかどうかは定かではないとしても)18人中12人もの感染者(25日現在)を生み出して、さらには多くの濃厚接触者を発生させるという行為。

 これって、責任を取ってほしいレベルです。わたしには。

 あと、決して笑えない話がひとつありまして。

自民党沖縄県議の年齢構成は40代が5人いて、あと14人は50・60・70代なのです。

 感染しただけで周囲の人間に途方もない迷惑をかけること、自分が発症したら文字通り命懸けになってしまう旅路に、どのようなお考えで参加されたか、ということですね。

 さらには限りある医療資源を消費してしまうことも、ですね。

 別にマスコミじゃなくても、言いたいことはたくさんあるのではないかなぁ。

 もう感染してしまったので仕方のない話なのですが、タメイキ出ちゃいますね。

八言目 思いとどまる(自殺願望)

もしも身近な人が死んだら。

 どうも、光爾ケイト(ひかりに・けいと)です。

 芸能人の急な他界(自殺)が続いていますね。

 どなたがどのように、という話はマスメディアにお任せするとして、「仕事もプライベートも順調そうに見えたのに」という視点で進めてみましょうか。

 誰も他人の内情まで詳しく理解出来たりはしません。だからみなさん、「〇〇そうに(だいたいは幸せそうに、順調そうに)見えたのに」と言うわけですよね。

 見えるのは表面上。

 死にたいな。自分は死んだほうがいいな。生きているのが申し訳ないな。もう死にたいな。自分は死んだほうがいい人間だな。切腹は痛いからイヤだな。リストカットも痛そうだな。クスリは摂取量が分からないな。飛び降りや飛び込みはたくさんの人に迷惑をかけるな。

 どんなに頑張っても、こんなもんか。ふざけて生きているわけじゃないのに、こんなもんか。疲れたな。またトラブルか、疲れたな。ふざけて生きている人のほうが楽しそうじゃないか。なんならアイツのほうが楽しそうじゃないか。あんなにふざけているのに。自分の人生なんて、つまらないな。もう頑張るのは疲れたな。

 なんてことを毎日考えながら、それでも嬉しい出来事や楽しみもあるから、どうにか生きていくほうに天秤が傾く。

 その天秤が、生きるほうではない片方にふと傾ききってしまったとき、人は死ぬのかもしれません。

 ウィキペディアのそれがどこまで正しいかは分かりませんが、世界の自殺率は10万人中約10人だそうです。すれば、1万人に1人の計算となる。それが日本では世界の約2倍にも達しようかという数字。

 生きにくい国。なのかもしれません、日本は。

 あくまで個人的な見解ですが(しかしながら、ほぼ間違いないと考えておりますが)、現代の自殺者は、人生に絶望するのではなく、失望するのではないかと。

 単なる言葉遊びではなく、類義語の言い換えではなく、深い闇の底に沈んだ状態ではなく、期待がはずれたときのがっかりした感覚。そして、疲労感。

 自分の人生は順調(そうに見える)だろうけど、もう何となく疲れたな。

 普段の自分なら、思い直せるはずなのに。思いとどまれるはずなのに。ぜんぜん本気じゃないのに。弾みと歪みが重なり合ったとき。

 わたしは、いつでも思いとどまる。

 あなたは、どうしますか。

 メメントモリ。Memento mori

 いつか死ぬ。そのときまで生きる。

 自分のために、あるいは誰かのために。

七言目 不倫、リンフー、みちならず?

スルーされたり、集中砲火うけたり。

 どうも、光爾ケイト(ひかりに・けいと)です。

 なんでこのブログを始めたかなー。始める必要があったのかなー。勢いで始めたのだが、わざわざフィールドを分ける理由はなんだったかなー。と、ふと考えてしまったら筆が止まり、気がつけば長月も終わってしまいました。

 最近世間を賑わせているひとつは、某有名水泳選手の復帰……あ、そちらは心温まるほうの話ですね。そうではなくて、某水泳選手の不倫話ですね、まあ、世間的には心温まらないほうの話題になるのでしょう。

 少し前置きしますと、有名なプロ野球選手であり、またのちに闘将と呼ばれた監督に限らず、プロ野球の選手・監督・関係者には「現地妻」的なパートナーがいることも珍しくなく、水面下では誰でも知っていることでマスコミも黙認していますよね。サッカー選手だって問題にはなりますが、ごめんちゃいで許してもらえる(場合が多い)。

 なのに、なんで今回の水泳選手の不倫は本人に大ダメージを与えてしまったか。同じスポーツ選手なのに。

 と、思われた方。その違いは、単純に立場の違い。なんですね。クリーンなイメージを求められる立場の人と、それを求められない立場の人。そして、組織にバックアップされている人、されていない人。

 水泳選手は求められる立場の人。また、その求められるクリーンなイメージを本人も受け入れて、演出し、利用してきた部分もあるでしょう。競技レベル以外の部分で、マスコミ受けやスポンサー獲得に有利に働くのだろうと。

 では、不倫そのものはいかがでしょう。

 過去にはゲス不倫というジャンル(?)の語源となってしまった某ロックバンドのリーダーと女性タレント、奥さんの入院出産の隙を突いて好き好きした国会議員、つい最近は有名グルメタレントのあとに、おしどり夫婦と目されていたカップルの夫と若い女優。どれもこれも大騒ぎになったのは、クリーンなイメージがあるからですよね、その人に。

 そう、クリーンなイメージがある人ほど大騒ぎされるのです。

 不倫の事実そのものよりも、その人のもつクリーンなイメージが音を立ててぶっ壊れるほうが大騒ぎされる理由であるわけです。

 ならば、不倫そのものは?

それはつまり「道徳」に依拠するのでしょうが、「道徳」とは人間の社会性に関するいわゆる不文律ですから、国や民族や地域や宗教などによって違ってくるもの。

 わたし自身深く考えたことはありませんが、個体が集まって社会を構成するとき、一定規模を超える社会になると、婚姻というものは非常に効率がいいものだと思われます。そこでその環境に合わせた「道徳的な何か」が生み出され、そのなかに婚姻制度が決められていく。

それが一夫一婦なのか、一夫多妻なのか、もしくは一妻多夫なのかは、その社会の周囲の環境だと考えられます。どれがその環境に置いては最も効率的なのか。

ただ、いずれにしても、不倫は起こり得ますよね。なぜなら不倫=婚姻関係ではない相手との行為ですから。一夫多妻であれば、一妻多夫であれば起きないというものではない。言い換えれば、どこにでもどんな夫婦にでも独身であっても起こり得ることなのですね。

道徳的な観点はともかく、この世からは無くせないものだと。全く個人的な見解ですけど。

 ここで改めてグルーピングすると、同じ不倫でもおそらく1対1となる、いわゆる純愛系というジャンルになるのかの方々と、あのグルメタレントのように「アレ」だけを目的としている(と受け取られる)行動をする人々に分けられます。今回の水泳選手も後者ですよね。

 夫もしくは妻の立場からは前者(純愛系)のほうが許せないかもしれませんが、社会的には後者(アレ目的)のほうが叩かれますな、多分に道徳的などと呼ばれる観点から。

 というわけで、性急に話をまとめます。

まずひとつめ。クリーンなイメージの人が不倫をするとマスコミ的にはおいしい袋叩きに叩かれる。

次に、アレ目的の人のほうがワイドショー大喜び社会的にはフルボッコに殴られる。

 つまり、キャラの問題だということでしょう。

あの人なら不倫するわよ。で済んでしまう人と、ええー、あの人が不倫、信じられない! え!あの人アレ目的なの?サイテー!最悪!と言われてしまう人。

 さあ、あなたはどちらのタイプなのでしょうね。

 そして、自分はどちらのタイプでありたいと思いますか?

 まあ、詮無いことではありますが。

三言目 偉い人

居場所に負けると、勘違い。

 世界のみなさま、おはこんばんちは。光爾ケイト(ひかりに・けいと)です。

「ものまうす おきなはからに」、今日は偉い人について。です。

 沖縄には「たーが しーじゃか」という決まり文句があります。直訳だと「誰が年長者か」となり、「わたしが年長者だから、わたしの言うことを受け入れるべきだ」という意味で使われる言葉です。

 だいたいは、これ以上の議論は不要だとして話を打ち切るときに使います。

 世界中、どこの国でもそうだと思います(あるいは信じたいです)が、年長者というものはだいたい敬意をもって扱われています。儒教の国は間違いなくそうですし、個人の自由に傾倒著しい日本であっても、年長者は相応の気遣いを受けています(と信じたい)。

 しかしながら、年長者だからと言って、決して偉い人であるとは限らないということを年長者自身が気づいていない場合が少なくないですね。残念ですけれど。

 自分は年長だから、役職も上だから、自分の言うことは年少者に比べて正しいし、やり方は間違ってはいないはずだ。と考える人の多いこと。

 んなわけねーだろ。

 誰だって間違う可能性はあるよね、だから自分を疑ってみるんだ。BY小学生時代のAくん(当時12)。笑

 敬われるにも資格がある。

 敬意は求めるものではなく、自然と向けられるもの。

 あなたが年長者であろうとなかろうと、役職が上であろうとなかろうと、あなたにその資格があれば、相手は自然と敬意をもってあなたに接してくるでしょう。

 年長者や偉い立場にいる人も必ずしも全能ではなく、その発言が100%正しいわけではなく、その行動が100%間違いないわけでもなく、そもそも必ずしも偉いわけではないということです。

 だいたいの人は、自分の居場所(役職や位階)に負けると、勘違いが始まるような気がします。

 書きながら、それを自分に置き換えてみたのですが、音もなくひとすじの涙がこぼれてきました。どうやらわたしの資格にも問題がありそうです。むしろ振り返るほどに問題が湧き出てきます。滝涙

 いやはや、詮無きことでありました。

 ではまた次回。